2008年7月14日
「愛と執着」
前回のブログ更新から引っ掛かっていることがある。
「クルマへの愛」の純粋性。 確かに見返りは求めていないかもしれないが、そ
こに執着はないか?
愛して止まないクルマをやむを得ず手放さなくてはならなくなった時・・・
「手放す前にもう一回乗りたい・・・」そう思わない人はいないだろう。
その一回で何が変わるわけでもないのに・・・。
そもそも、執着は「失う事への怖れ」から生ずる。 失う事への怖れは、目で見
える・手で触れる・耳で聞こえる・・・5感を通して感じ取れるものだけに囚わ
れているから、生ずる感情である。 だから、クルマをモノとしてとらえた時、
執着が生まれるのではないか。
そのクルマの魅力の本質、作り手の妥協しない命がけの取り組み、それが感動を
呼び、自分はその感動に愛で応えているのだと気付けば、執着は静まり、愛の純
粋性が高まる。
愛は救いをもたらすが、執着は渇きしかもたらさない。
2008年7月 8日
「愛について」
僕たちがクルマを愛する時、決して見返りを求めない。
ただ、そのクルマを愛して、ひたすらに愛情を注ぐ。

クルマオタクとか洗車オタクとか、周りから色々言われても、決して愛を注ぐ事をやめない。
そして、愛情を注ぐ事で最も満たされているのは、我々自身である。
なぜ、人に対して、我々は同じように愛を注ぐ事ができないのだろう?
なぜ、相手が人だと、見返りを求めてしまうのだろう。
愛を与えるだけでは物足りず、愛を求めてしまうのだろう?
それどころか、愛をろくに与えてもいないのに、それ以上の愛を相手に求めてしまう。
何か、クルマに対する愛の中に、愛の本来の姿を見る気がする。