2008年07月14日

「愛と執着」

前回のブログ更新から引っ掛かっていることがある。


「クルマへの愛」の純粋性。 確かに見返りは求めていないかもしれないが、そ
こに執着はないか?


NEC_0321.JPG



愛して止まないクルマをやむを得ず手放さなくてはならなくなった時・・・
「手放す前にもう一回乗りたい・・・」そう思わない人はいないだろう。
その一回で何が変わるわけでもないのに・・・。


そもそも、執着は「失う事への怖れ」から生ずる。 失う事への怖れは、目で見
える・手で触れる・耳で聞こえる・・・5感を通して感じ取れるものだけに囚わ
れているから、生ずる感情である。 だから、クルマをモノとしてとらえた時、
執着が生まれるのではないか。


そのクルマの魅力の本質、作り手の妥協しない命がけの取り組み、それが感動を
呼び、自分はその感動に愛で応えているのだと気付けば、執着は静まり、愛の純
粋性が高まる。


愛は救いをもたらすが、執着は渇きしかもたらさない。

投稿者 waxman : 2008年07月14日 09:27

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